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ルイーズ・ブルジョワ 《I Do, I Undo, I Redo》
ヘルツォーク&ド・ムーロンの手によって発電所から現代美術館へと蘇ったテート・モダンは、2000年に開館した。地上階にはタービン・ホールと呼ばれる吹き抜けの空間があり、そこに毎年ひとりのアーティストが作品を提供している。「ユニリーヴァ・シリーズ」という展示だ。このシリーズは、オラファー・エリアソンの「ザ・ウェザー・プロジェクト」、アイ・ウェイウェイの「ひまわりの種」など、現代アートの最先端のスペクタクルを提供してきた。そのシリーズの最初の展示が、ルイーズ・ブルジョワの「I do I undo I redo」だった。テート・モダンの開館とともに展示されたこの作品は、現代アート史にとって、記念碑的作品だったと言ってよい。
それは、三つの「タワー」から成っている。いずれもぐるぐると螺旋階段の巻きついた、錆色のオブジェで、それぞれ10メートルはある。その階段には実際に人が昇ることができるようになっていた。
「I do I undo I redo」というタイトルをどう日本語にしたらよいだろうか。「do」が作品の制作に関わるという文脈で解釈してみると、「わたしは作る、わたしは元どおりにする、わたしは作り直す」といったところだろうか。
タービン・ホールでの約半年の展示ののちに、この巨大なオブジェはどこに行ったのか。今、それは、南フランスのヴィラ・ラコストというホテルの敷地内にある。深く掘られた窪みのなかで、くすんだ錆色の物体が南フランスの光を受けている。おそらくテート・モダンのタービン・ホールの薄暗がりのなかにあったときとは極めて異なる印象を私たちに与えることだろう。そのためか分からないが、一番上に備え付けられていた鏡はなくなっている。
イギリスとフランスは海を挟んで隣国だとはしても、これをどうやって運んできたのだろうと思わずにいられない。ヴィラ・ラコストの敷地には、ホテルに宿泊する人々しか入れないようになっているから、今は非常に限られた人しかこの作品を見ることができないということになる。
南フランスの極めて洗練された施設に突拍子もなく置かれたこの巨大な作品は、異物に見える。それはまるで工事現場のようだ。それも、人のいない工事現場だ。建設することを放棄された、完成することのない構築物。この作品のタイトル、「I do I undo I redo」に込められた意味は、未完成の、仕掛かり中の、何度も何度も作り直される創作というところにあるのかもしれない。鈍くくすぶるかのような三つのタワー。作られ、こわされ、再び作られる、作品は常にその行ったり来たりの過程のうちにある。完成を目掛けて制作されるというよりは、むしろ能動的な破壊と、そこから再び見出される創造、その絶え間ない行き来のうちに。
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