シャトー・ラコストの方へ 4

「フライトを確認して電話するから、好きなように過ごしていて。」エリックが私たちに言ってくれた。パリ行きの電車がストのためにキャンセルされてしまい、私たちはパリに行く他の方法を考えなければならなかった。

 もともと、私たちの午後の予定は、シャトー・ラコスト内のワイナリーのツアーだった。ジャン・ヌーヴェルが設計したワイン工場を案内してもらうのを、私はとても楽しみにしていた。「この状況で酔っ払っていいと思う?」シシィがめずらしく真面目意見を唱える。いいでしょう、とりあえずランチしよう、それから、予定どおりワイナリーツアーしよう。私は言った。

 でも、まかり間違って今日中にここを発たなければならないとしたら、ワイナリーツアーよりも、まだ見てない作品を見たいなと思いもしたけれど、きっとどうにかなる、いいようにしかならないと思えた。

 ランチは昨日と同じレストランで十分満足。野菜を求めて、私たちは昨日と同じ「ラ・テラス」へと向かった。寒いのに、昨日よりも賑わっていた。

「今日のポタージュは何ですか?」私たちの席に向かってきた白いシャツを着た男性に聞いた。彼は戸惑う。「あ。 ごめんなさい、ポタージュについては知らないんです。僕はこのレストランで働いているのではなくて。えっと、 二人は午後にワイナリーツアーをしますよね?」「あ、ベンジャミン?」私はエリックから聞いていた名前を出した。「はい、ベンジャミンです。二時半の約束だけれども、僕はそこのお店で待っているので、ゆっくりランチしていいですよ、と言いに来たんです。ポタージュについて分からなくてごめんなさい。」ベンジャミンは、はにかみながら言った。楽しい午後になりそうだった。 

 私たちは前日とまったく同じメニュー、つまりセロリのポタージュとキヌアのサラダとレモネードを頼んだ。何度食べても感動的に美味しい。食事を終えて、ベンジャミンが待っているお店へと向かった。

 ジャン・ヌーベルが設計したワイン工場は、中がひんやりしていた。ステンレスの巨大な樽も、おそらくはひんやり感を強調していた。ワイン工場と言ったら、煉瓦造りの倉庫にオークの樽が四方八方に転がっているものと思い込んでいた。ここではオークの樽は申し訳程度に置かれているだけで、ステンレスの巨大な樽が内部を占有していた。

 途中でエリックが来て、明後日の夕方のフライトの予約が取れたことを教えてくれた。完璧な予定だ。シャトーラコストの滞在が一日延びたけれども、パリで過ごす時間も十分にある。 

 ワイナリーで覚えきれないほどの知識を詰め込まれて、そのあとにロゼ、白、赤と次々とテ イスティングなんかするものだから、あまり賢くはならなかったけれども、南仏では数種類のぶどうを混ぜるのが基本というところだけは押さえた。だから、シャトー・ラコストの敷地には、いろいろな種類のぶどうが植えられている。ピノ・ノワー ルとシャルドネに執着してきた私の喉も、少しは変化を求めるかもしれない。

「どうしてここで働いているの?」「太陽があるから。ブルゴーニュは南仏のようにいつも天気がいいわけではなくて。」ブルゴーニュ出身のベンジャミンがワインへの情熱とともにわたしたちを案内してくれた。「どうしてワインの仕事をしているの?」「プルーストのマドレーヌって知ってる?僕にとってはそれがワイン。」私は聞き取れなくて、きょとんとした。「なんて説明したらいいかな。懐かしい記憶を呼び起こさせるようなもの・・・」ベンジャミンは言った。「ああ!プルーストのマドレーヌね!」私は思い切り日本語発音で言う。こんなところでプルーストが出てくるなんて予想も期待もしなかったので、少し驚いた。そして、私にとっては「プルーストのマドレーヌ」という言葉そのものが「プルーストのマドレーヌ」であって、それを合図に若かりし頃の自分へと導かれた。手の中にどすんと厚い本が落ちてきた気がした。

 さて、私たちの滞在は一日延び、思う存分ぐうたらできることがわかった。とすると、この日のミッションは、ホテルの二つ星レストランでディナーを楽しむことだけだった。ヴィラ・ラコストのロビーに戻ると、お茶やらお菓子やらを勧めてくれる。グリーンティーをいただいて、テラスの外を眺める。あたたかかったらプールに入れるのに。お茶を飲みながら、誰も入っていないプールを見下ろす。

 あれ、見た顔だな、と思ったら、ベンジャミンだった。シシィお気に入りのねずみ男と話している。ベンジャミンは、にこっと笑って「きみたちをストーキングしてるわけじゃないよ」と言った。シャトー・ラコストの中に知っている顔がどんどん増えて、心地いい。お茶を飲み終え、部屋に戻った。ディナー用に赤いドレスを持ってきたっていうのに、冷え切っていて、袖なしドレスは何の役にも立たなそうだった。仕方がないから長袖の黒いドレスを着て、もじゃもじゃの頭でレストランに向かった。まずはバーエリアでノンアルコールの洋梨のアペリティフを頂く。夜七時はディナーには早すぎるのだろう、お客さんは私たちだけだった。まだ外は明るい。

 ガラス張りの素敵な空間で、極めて洗練された食事をする。ちょうどイースターだったので、卵の料理が出てきた。盛り付けがとても美しい。フランス料理だけが突出して進化する、と シシィが言った。たしかに、これは発明だ、とひとくち食べるごとに思う。そして野菜がほんとうにおいしい。私たちのメイン料理はお魚だったけれども、野菜だけでも十分に満足だろうなと思う。ワインは控えめにして、ロゼを一杯だけにした。お腹が満腹を通り越していたけれども、デザートも堪能した。最後のお菓子は部屋に運んでもらうよう頼んだ。

 レストランとヴィラ・コストのロビーとは内側で繋がっていた。 もう一つのレストラン「ル・サロン」を通って、ライブラリーを通って、エレベーターをのぼると、見慣れたロビーだった。 部屋にグリーンティーを運んできてもらう。レストランで頼んだお菓子はこなかったので、少しがっかりしたけれども、お茶を頂きながらくつろぐ。

 私たちは明日丸一日を、ここでゆっくり過ごすことができる。


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