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タダオ・アンドウ「私たちの環境について考えるための四つの立方体のパビリオン」
アートと建築は切っても切り離せない。ペノーネやJRのように建築をものともしないアーティストもいるし、クリストのように建築を包み隠してそれを作品だというアーティストもいるし、名もない建物の外壁をキャンバスとする作品もある。それでも、美術館、アート・ギャラリー、何と呼ばれるにせよ、アートの収納庫あるいは展示場は、作られ続けている。作品が置かれる空間もまた、ひとつの作品だ。それは、作品と共鳴して、美的経験の空間を作り出している。
タダオ・アンドウはアートへの貢献者だと言っていいだろう。ヴェネチアのパラッツォ・グラッシ、プンタ・デッラ・ドカーナ、直島の地中美術館、ベネッセハウス、李禹煥美術館、神戸の兵庫県立美術館、秋田の新秋田県立美術館。現在手掛けているのは、パリのブルス・ド・コメルス(商工会議所)を現代アートの美術館にするプロジェクトで、2019年にオープンするという。
シャトー・ラコストにも複数の安藤建築がある。入り口のゲートから始まり、アート・センター、「オリガミ・ベンチ」、教会、そして「私たちの環境について考えるための四つの立方体のパビリオン」。
「私たちの環境について考えるための四つの立方体のパビリオン」の特殊さは、アンドウが建物だけではなく、中身まで作ったところにある。この建物は、ダークブラウンの木材で作られ、外見は直島にある南寺と似ている。だが、南寺の中にはジェームズ・タレルの作品が「設置」されているのに対し、こちらはアンドウその人の「作品」がある。その「作品」というのが、「四つの立方体」だ。
パビリオンに入るために、まずは緩やかな階段を下りていく。右に建物の壁、上にひさし、左に塀があり、すべて同じ木材でできている。ひさしと塀の間にわずかな隙間があり、そこから光が入ってくる。パビリオンの入り口を入ると、廊下になっていて、右にも左にも進んでいけるようになっているが、多くの人は直観的に右まわりを選ぶのではないだろうか。廊下を伝っていくと、ちょうど入り口の反対側から展示の場に入ることができる。つまり、展示の場は二重の壁に囲われているかたちになっていて、そのために展示物が外の光を浴びることはない。
展示の場に足を踏み入れると、私たちの背丈以上の高さの四つの透明の箱が置かれている。その透明の箱には、それぞれに文字が反復して書かれている。「Rubbish(ごみ)」と書かれた箱には、潰された空き缶が圧縮されて正方形の形を取っている。「Water(水)」と書かれた箱の中では、積み重ねられたペットボトルが正方形の形をなしている。「CO2(二酸化炭素)」と書かれた箱は、さらに透明の箱が入っていて、下に置かれたランプが虹色の光を放っている。何もはいっていないように見えるが、おそらく温室効果ガスに満たされているのだろう。
ゴミ、水、二酸化炭素は、「私たちの環境について考える」のにふさわしい素材だ。環境汚染の問題、資源の問題、温暖化の問題。それらは当然私たちの未来に関わる問題だろう。
残されたもう一つの箱は「Future(未来)?」だ。その中にはさらに透明の箱が置かれている。この構造は一見「CO2」と似ているが、「Future?」の中には光さえない。「Future?」は空虚なのか、もしくは、目に見えない何かに満たされているのか。そういえば、この空間自体が建物の壁に二重に包まれていて、この「Future」の箱も二重になっていて、箱の中の箱の中の箱の中の箱だ。私たちは、アンドウの木のパビリオンのなかで、幾重にも包まれた「未来」を見つめる。それは目には見えない期待であり、不安であり、何であるにせよ、「来るべきもの」だ。
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