アンゼルム・キーファー《歴史の天使》

 ヴァルター・ベンヤミンは、歴史の破局を見つめる存在として、「歴史の天使」を想定した。その天使は、過去に顔を向け、吹きつける嵐のために翼を閉じることもできず、積み重なる瓦礫をただただ見つめている。ベンヤミンにこの天使のイメージを与えたのは、パウル・クレーが描いた《新しい天使》という絵画だった。ベンヤミンはこの絵を、亡命中も携え、不運な最期の時まで手離すことはなかった。

「歴史の天使」をあらためて想像してみると、どのようなイメージが与えられるだろうか。2018年春、パリのタデウス・ロパック・ギャラリーで、アンゼルム・キーファーの《歴史の天使》が展示された。縦2.6メートル、横6.5メートルほどもあり、見る人を包み込むような巨大な作品である。油絵の上に鉛を垂らし、その鉛を両側から剥がしていったように見える。制作年が2005年から2017年となっているから、2005年に描いた油絵に、2017年に鉛を垂らしたのではと推測する。剥がれた鉛には、分厚い絵の具がくっついていて、重みがありつつ、きらきらしている。えぐられた方のキャンバスもまた、黒がベースとなっているが、黄金色の葉のオブジェが貼り付けられ、金色がちりばめられている。二枚の翼が広がっているように見える。

 それは、近年のキーファーの作品と同じように、非常にユーフォリックな感覚を与える。キーファーの作品に充満するユーフォリアは、おそらく、「ありえたかもしれない」という潜勢力のためだ。作品はつねに、別のあり方でありえたかもしれないという可能性を秘めている。キーファーの《歴史の天使》であれば、そこに鉛を垂らしてばりばりと持ち上げてみたら、そこに恐ろしく美しいイメージが潜んでいたのだ。

 進歩という強風が破壊し積み上げる「歴史」と呼ばれるものの瓦礫をよくよく眺めてみれば、実際にあった出来事だけではなく、ありえたかもしれない過去が潜んでいる。ベンヤミンの考えでいうならば、そこにこそ「救済」への道筋が暗示されている。キーファーの《歴史の天使》は、潜勢力とそれがもたらすユーフォリアを提示している。こちらの場合は、とても幸せなやり方で。


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