シャトー・ラコストの方へ 6

マルセイユ空港。三日前にこの空港に着いたとは思えないくらい、シャトー・ラコストの滞在は私たちを変えた。いつものエールフランスらしく、パリ行きの飛行機の出発は遅れていた。ゲートの前には大勢の人が待っている。予定から三十分くらい遅れて、ゲートが開いた。狭い通路をひとりひとりスタックしながら進んでいくため、 乗客が全て席に着くまで、さらに三十分もかかったのではなかろうか。 そんなに疲れていたつもりはなかったのに、座席に腰を下ろした瞬間に、私はすとんと眠りに落ちた。

 やせっぽで優秀なココが隣りの座席でブランケットにくるまれて眠っている。彼女とはよく一緒に旅にでる。毎回びっくりするくらいの用意周到さで完璧な旅を企画する彼女だけれど、蛹のようなそのあり様はひどく儚くみえる。 今生でふたりが出会ったとき、ココはおさげだった。わたしはおかっぱだった。ふたりは15歳だった。ココはとにかく口数が少なく、バカな話をするのはいつもわたし。一緒にいてもあまりおもしろくないんだけど、、でもなぜかいつもとなりにいて、いつ のまにかそれがあたりまえのようになった。同じ大学に通い、いつしか社会人に。社会人(ってゆう言葉自体、ヒトの区分として不自然極まりないが)になる心の準備ができてるひとなんていないんだろうけれど、ふたととも全く準備なんてなく、ひどく無防備な状態に置かれていた。じぶんじしんのことを知らないままにいくつかの恋もして。その時点からさらに十年以上が経過し、ふたりはまた隣同士で旅にでる。物理的には近くにいるけれど、この十年間で経験した様々なこと、その時々に、彼女がわたしをほんとうに必要としたときに、わたしは彼女の心に寄り添うことができただろうか。ふと、そんなことがあたまをよぎる。

ねえねえ、先生、ココに南フランスに行こうって誘われているんだけど、行ってもいい時期かな?わたしは、約一ヶ月前、ここ何年かお世話になっている行きつけの鍼灸院で、治療を受けながら、先生に聞いた。先生は摩訶不思議な力を持った治療家だ。わたしは週に何日か治療をしてもらっていて、とりとめのないおしゃべりをしたり、あらゆる種類の相談ごとをしたりする。そんなわたしを先生はいつも適切な方向に導いてくれる。ねえねえ、先生、ココは文才がすごいの。おしゃべ りはさっぱりなんだけど、彼女が書く文章にはうんとチカラがあるの、むかしから。 先生は、ほんとだ、ココちゃんには文才があるね、という。先生には何でもお見通しだ。一瞬先生の手が止まった。あれ、ヴィジョンが見える。今回の旅・・・何かを解消するのかも。 え、なになに?わたしは食いついた。 そこからは堰を切ったように、先生は見えるものを語り始めた。南フランス、特にプロヴァンスだね、中世の時代に、シシィちゃんとココちゃんがいる、二人とも能力が高かった。けれど、女性であるがゆえに才能を活かせなかったんだろうな。シシィちゃん、去年の夏にフィレンツェでアルノ川のほとりので水の女神さまに会ったじゃない、それとつながっているみたい、水つながりかな。そう、わたしは去年の夏に、 姪と一緒にフィレンツェを旅して、先生の指示でフィレンツェを流れるアルノ川のほとりへと赴いた。そして、ある儀式をしたのだった。 先生は続ける。ムサ?ムーサ?ミュージックの語源なのかなあ。ムーサっていう芸術の女神さま、ご縁のある 女神さまがいらっしゃるんだけど。「ご作法」やります?やります!わたしは即座に答えた。 きっとふたりとも才能を発揮し易くなるよ。あと、ふたりのご縁そのものがよりよいものになるはず。女神さまは音楽と詩を司っているから、パリではオペラ座に行って下さい。いきますっ!オペラ座の前は何度も通っているけど実は中に入ったことがなくて、、きっとココも喜んで行ってくれると思います。 先生は、プロヴァンスの女神さまがいらっしゃる場所を特定しておいてくれると言う。わたしはわくわくして数日待った。

次の治療の日に、先生はこう言った。場所がわかりましたよ。あれ、なんだったっけ?えっとね、と先生は携帯電話を探る。「ふぉるかるきえ」ですね。聞いたことないよねぇ、この前もかれらが何てゆってるのか聞き取れなくて。 ふぉふぉるかるきえ??わたしもその聞いたことのない名前に戸惑った。 さらに数日後、先生からメッセージが届いた。「こんにちは。ご作法で、ローリエ葉七枚が必要です。あと、これもご作法なんだけれど、シシィさんは歌を、ココさんは詩の朗読をして、女神さまに捧げて下さい。」 そして、先生はお札を用意してくれた。お札は十七枚あって、古い魔法の呪文が書かれていた。シシィの歌とココの詩の朗読で発動するものだという。先生に言われたとおりにローリエの葉を七枚用意した。 あとは、現地で水500ccと白ワイン720cc以上を用意すればいいと言う。ローリエ、白ワイン、美味しそうな料理ができそうだけど、フランスならではのものだな。 女神さまが「待っていますよ」と仰っていますと先生が伝えてくれた。女神さまが待っている。わたしは、治療中もその後もしばらくその実感があって、ハートがじーんと熱くなる。見えない何かがつながった。そのつながりをたしかなものにするためのご作法をする。わたしたちは時空を越えてつながっているんだ。十年以上習っている声楽、いつもはうまいとか下手とかテクニックばかりが気になるけれど、この度はそんなの全然関係なくて、とにかく心を込めて歌えれば、それだけでいいのだとわかる。あたりまえだけれど、女神さまにはごまかしは一切通 用しないのだから。ありのままの今のわたしの歌を届けるしかないんだ。わたしの歌を待っていてくれるひとがいる、いや、より正確に言うと、わたしなんかの歌を待っていてくれる方、しかも人間より高次元、がいる。初めての感覚にただただうれしくて有り難くて涙が出てくる。歌うこと、表現すること。この巡り合わせにひたすら魂がよろこんでいる。音霊、言霊。

その日。わたしたちは小一時間ばかり迷った挙句、やっとその場所にたどり着い た。シャトー・ラコストで調達した白ワインのボトルをお部屋から借りてきたワインオープナーで器用にあけるココ。「このオープナー使いやすい。買ってよかったわ」と比較的切迫つまった状態でも感想をのべることを忘れない。わたしは日本から持参したご作法キットを下を流れているであろう小川に向かってまく。 そして、お水と白ワインをまく。
女神さまが潤いますように。シンプルなフランスものの歌を選んできた。フォーレのレクイエムよりピエ・イエス。この曲にイメージするのは、ヒトひとりひとりが地上における光の柱である姿、ひかりの柱が天高く届くように、 あるいは天から光が降り注ぐように、また弱くなったひかりを大事にまもり、ひかりをわけあたえるような。。 ところが実際のお作法の場面での歌はというと、、うんとあっけなかった。もっと味わいたかったのに時空の狭間にからめとられ、感覚が麻痺しているかのようだった。 こんなんで女神さまは満足してくださるのー??現実世界における時間的、物理的制約も意識される中での感覚の喪失。続いてココが朝に選んだフェルナンド・ペソアの短い詩を読み、そそくさと終えようとする。フォルカルキエくんだりまできてシャイになってる場合じゃなかろうがーーー!感覚はオンオフを繰り返す。オンになったわたしに喝を入れられたココは自作の文章を朗読。自分のことは棚に上げ、オンになったところで声がちいさーい!とまた一喝。はたして女神さまは喜んでくださったのだろうか。お作法は成功したのだろうか。

そのとき、ピンクの小さな花びらがふわりと舞ったのが見えた。いちまい、またいちまいと、その数は増え、日本の桜のように舞い上がり、わたしたちを包んだ。芳しい香りが漂った気がした。花びらの動きのなかに、わたしはシンプルで短いメッセー ジを読みとった。

わたしはここよ

ふたりともありがとう

とてもうれしいわ


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