《アニミタス》 クリスチャン・ボルタンスキー

 砂漠でいくつもの風鈴が音を響かせている。止むことのない音色は、本来、その地で鳴り響き、誰にも聞かれることなく砂に吸収されていくはずだ。だが、録画された映像があるおかげで、私たちの耳へ届けられる。どこの誰かもわからない「私たち」へと。
 クリスチャン・ボルタンスキーは、標高約2000メートルのチリのアタカマ砂漠に無数の風鈴を設置し、それを「アニミタス」と名付けた。「アニミタ」とはスペイン語で「小さな魂」を意味する。ボルタンスキーは、吊り下げられた風鈴を「小さな魂」に見立てたのだ。そう、それは確かに亡きものたちのささやく声に聞こえないでもない。いや、むしろ、それを耳にする私たちが、そこに亡き人の声を求めている、だから、そう聞こえるのかもしれない。
 ボルタンスキーの作品は、数々の名前、膨大な量の古着、いくつもの顔写真などから成り立っている。それは、常に、匿名の無数の人々をあらわし、匿名の無数の人々に捧げられている。その夥しい数の並列によって、名前や顔ですら、特定の誰かであることを失い、「誰であってもかまわない誰か」へとかえっていく。そうした「誰か」の痕跡が、たまたまそれを観る私たちに差し向けられている。
 しかもそれは、つねに何かを通じてである。顔写真を通じて、古着を通じて、あるいは風鈴を通じて、さらにはそれを映像を通して。つねに、何らかの媒体を通じて伝えられる。そこで伝えられるものは何かといえば、誰かがいることというよりは、誰かがいたこと、つまり、誰かの痕跡であり、不在である。「誰か」がいたことを想起させるもの、取り残されたものが、そこに「ある」。ボルタンスキーの作品は、そういった存在と不在の隙間にあり、それを媒介する。
そうした不在こそが、それを受け止める誰かを、つまりは「私たち」を待っていたのではなかっただろうか。

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